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アンティークの醍醐味は、その商品の作られた時代、
使われた時代を感じる事だと思います。
ここでは簡単に、時代について
ご説明させて頂きます。
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| ◎ジョージアン (1800〜1837) |
◎ヴィクトリアン (1837〜1901) |
| ◎エドワーディアン (1880〜1915) |
◎アール・ヌーヴォー (1890〜1910) |
| ◎アール・デコ (1920〜1940) |
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| ◆ジョージアン 【Georgian】1800〜1837年頃 |
ジョージアンとはジョージ3世在位の1800年頃からヴィクトリア女王即位の1837年頃までを指します。この時代、ジュエリーは王侯貴族と呼ばれる特権階級の人々だけのものでした。
デザイン・素材面では、ギリシャ・ローマ美術の模倣か、月や星、花などの植物といった、変わり栄えのしない安易な装飾モチーフだけが主流でした。ジュエリーにおいては、素材がきわめて希少で、それによる節約が加工技術やデザインに見られます。
この時代のジュエリーの最大の特徴は素材、特に金とダイヤモンドの供給が異様なまでに乏しかったため、いかに少ない金で表面積が大きいジュエリーを作るかに最大の努力が払われました。細い金線を巻いて作った渦巻きや花などのモティーフや刺繍糸のような装飾を貼ったカンティーユや、金の薄板を裏から打ち出して模様をつけたレポゼ、金の板の表面に革細工のような縦じわを作ることで革の風合いと強度を出したキュイールと呼ばれる技術が開発されました。
さらに、きわめて薄い金の板を帯状にしてU字型に打ち出し、それらを楕円に丸めて繋ぎ合わせた、ジョージアン・チェーンが登場します。
夜の照明が不十分であったこともあり、宝石は光ることよりも色を楽しむことが重視され、石留めは表面を完全に塞いだクローズド・セッティングが中心でした。
ダイヤモンドは、異様なまでに硬い神秘的な宝石として用いられ、この時代のダイヤモンドジュエリーの特徴は、ダイヤモンドをセットする部分は銀で、その裏面には金を張った、銀と金とをラミネートした地金が多く使われていることです。これは、ダイヤモンドの白さを強調するのに銀を、肌や衣服に黒ずみがつくのを防止するのに金をと、使い分けていたためと思われます。
時代のセンチメンタルな風潮を反映してか、握り合った手や重なったハートなどの愛情の確認のモティーフがこの頃に登場し、やがてヴィクトリア時代に一段と隆盛を見ます。
長いヴィクトリア時代の助走期、それがジョージアンでした。
もともと作られた数が少ない上に、その後に作り直しのために宝石が外されたり、構造的に華奢な作りであったために破損したりして、今に残るジョージアンの作品は非常に少なくなっています。
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| ***ジョージアン・チェーン*** |
繊細な細工が見事 |
| ◆ヴィクトリアン 【Victorian】1837〜1901年頃 |
ヴィクトリア時代とは、1837年にヴィクトリアが女王として即位し、1901年に崩御するまでの64年間を指します。この時代の最大の特徴は、王侯貴族と僧侶に加えて産業革命で産を成した人々が新しい富裕階層として加わったことです。
女性達のファッションリーダーは若い女王であり、ヴィクトリアン初期のジュエリーは、まだ素材の制約があったものの明るさに溢れ、大粒のガーネットや明るいロイヤル・ブルーの七宝を使ったジュエリーが誕生します。アンティークジュエリーの歴史では、便宜的にこのヴィクトリア時代を3つに分けるのが普通です。
●ヴィクトリア時代初期(1837〜1861年まで)
華やぎのある社交生活に似合うロマンティック・ジュエリーが流行します。大切な素材であった金も世界各地でのゴールドラッシュにより、たくさん使うことが可能になりました。カボッションのガーネットが流行し、強い色の珊瑚の作品も数多くみられます。
デザインは女王が好んで使った蛇やロマンティックな花、鳥、木の枝、大きなリボンなどが流行しました。また、海外からの影響も強く、17世紀頃から、貴族の子弟はグランド・ツアーと称する欧州大陸への勉学を兼ねた旅行に出掛けるのが常でしたが、旅行先の第一はフランスとイタリアで、そこからお土産としてカメオやモザイクなどイタリアの特産品が持ち帰られ、ジュエリーの素材となりました。
若く明るい女王を中心に、作られたジュエリーも大ぶりで明るい色彩に満ちていたこの時代をロマンティック・ヴィクトリアンと呼ぶ史家もいますが、まさにぴったりの表現といえます。繁栄の頂点に達した大英帝国の、女王を中心とする貴族たちの時代でした。
●ヴィクトリア時代中期(1861〜1887年まで)
女王中心から大衆へと、流行の発信地が除々に移行していきます。1840年前後には金メッキが誕生し、1850年前後にカリフォルニアとオーストラリアで金鉱が発見され、1859年には、南アフリカで最初のダイヤモンドが見つかり、別に1849年にはオーストラリアで新しいオパール鉱山が見つかります。これまで希少とされてきた宝石が、大衆の手に入る時代が見えてきました。
1861年、女王にとって最愛の夫であったアルバート公が、突然死去します。それから女王は喪に入り、王室をファッションの手本としてきた人々は女王にならい、喪服に合うジュエリーが誕生します。金台に黒のエナメル、ジェットと呼ばれる漆黒の石、ボグオークと呼ばれる樫の埋もれ木などの作品が流行しました。鼈甲の表面に金や銀で作られた小さな部品を埋め込み、そのつながりを模様とするピクェが流行するのもこの頃です。これらの喪のためのジュエリーをモーニング・ジュエリーと呼びます。
その一方で、王室の喪など知ったことではないとする新しい階級の人々は、機械による量産化の始まりと新たに登場した素材で開かれた新しいジュエリー市場の客となっていきます。
●ヴィクトリア時代後期(1887〜1901年まで)
機械による大量生産が始まり、ジュエリーの大衆化が本格化してきます。ヴィクトリア自身は1880年代以後は別荘に籠ることが多くなり、実際の治世と社交は、後のエドワード7世となる皇太子と、絶世の美女として有名な妃のアレキサンドラが中心となる時代に入ります。
さすがの女王も喪の時代を抜け出て、社会そのものが明るさを取り戻し、ジュエリーにも、ダイヤモンドや真珠、大きな色石の時代がやってきます。色の強いエナメルを使用したジュエリーや、素材では精緻な彫りを施したエメラルドやルビー、珍奇なものでは虎の爪などが、異国情緒あるものとして流行しました。
真珠、特に半分にカットされたハーフ・パールが大量に使われるのもこの時代です。デザインは、ヴィクトリア初期・中期の大袈裟などちらかというと子供っぽいものから、星、三日月、花、小鳥といった自然にテーマを求めたデザインの作品が多くなっています。こうしたデザインを、ハーフ・パール、ダイヤモンド、そして色石を自在に組み合わせて大量に作った、これがこの時代の最大の特徴といえます。
この時代で注目すべきことはジュエリーの大衆化が本格的に始まった事です。まず、希少であった金に代わるものとして、金メッキや金張りの技術が生まれ、カメオもハードストーン・カメオから貝殻を彫ったシェル・カメオが本格的に登場します。そしてダイヤモンドの代用品としてマルカジットやカットスチールといったものが出てきます。こういった作品は個性あるアンティークとして、今日高い関心を集めるものとなっています。
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***フェデリング***
重なった手を開くと中からハートが現れる |
ローズ・カットのダイヤが輝く |
| ◆エドワーディアン 【Edwardian】1880〜1915年頃 |
ヴィクトリア女王を継いだのはエドワード7世ですが、国王としてはわずか十年しか在位しません。19世紀末から20世紀初めの頃といえば、現代の美術史などではアール・ヌーヴォーが時代を代表するような印象を受けますが、アール・ヌーヴォー運動はその時代でいえば異端の挑戦的なもので、ヴィクトリア末期に顔を出したアーツ・アンド・クラフト運動の申し子とでもいえるものでした。
時代の主流はエドワーディアンと呼ばれる、極めて端正な、ヴィクトリア時代の猥雑さの入り交わったものとは、はっきりと違う作品でした。エドワーディアン様式のジュエリーの最大の特徴は、ほぼ左右対称の幾何学的なデザインを、新しい貴金属であるプラチナを主に使って、極めて端正かつ繊細に作ることにあります。このエドワーディアンという時代、そして様式は、古代から連綿として続いてきた、貴族達が社会の模範あるいはファッションを決定するという、最後の時代であったことです。そのためか作品は貴族的で、俗なる大衆のためのジュエリーは、これとほぼ同時期に並行して発生するアール・ヌーヴォー、あるいは前時代の流れのアーツ・アンド・クラフトの作品に任せる、といった感じがあります。
フランスでは、ほぼ同じ時代の作風を「ベル・エポック」と呼んでいますし、主要な作品のデザイン・テーマから、「ガーランド」という言葉をこの時代のジュエリーに使うこともあります。
エドワーディアンの作品で、最大の特徴はプラチナの使用です。ダイヤモンドに色がつかないこと、極めて硬いために、ダイヤモンドを留めるための爪に便利なことが理解され、広く用いられるようになったのは1900年前後のことです。プラチナで極度に細く作った台座や枠にダイヤモンドを留め、枠の部分にたがねで細い溝をつけた(これをミルグレイン、ミル打ちと呼びます)細工が、この時代の作品の最大の特徴でしょう。
真珠の使い方も、ハーフ・パールは姿を消し、大小を問わず、丸いままの真珠が多く使われます。また色石や半貴石の極めて大きなものが、ダイヤモンドとともに、広くつかわれるようになります。
エドワーディアン様式のジュエリーを見て、直観的に感じるのは、白い作品、ということです。細いプラチナ、白いダイヤモンド、白い真珠、もちろん金製品もありますが、むしろ例外で、白く華奢で上品な作品、それがエドワーディアン・ジュエリーといえます。 |
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| 左右対称の幾何学的デザイン |
白くて貴族的な作品 |
| ◆アール・ヌーヴォー 【art nouveau】1890〜1910年頃 |
19世紀中頃から、日本の絵画、鎧兜や刀剣、漆器、浮世絵などといった美術品が、西欧に流れ込み始めます。日本美術に見られるデザイン感覚と技法は西欧人を驚嘆させました。昆虫、魚、爬虫類、蘭などの奇怪な花といった、デフォルメされた自然から取ったモチーフ、極端な省略と左右非対称な構成、腺病質なまでに曲がりくねる曲線、奇抜な女性の姿態といったデザイン・テーマ、さらに技術面では、四分一(銀と銅の合金)、赤銅(黒味銅と純金の合金)、蒔絵、沈金、漆といった技法など、どれを取っても今までの西欧ではみることのないデザインと技術でした。
20世紀を境にして、いわゆるジャポニズムと呼ばれる新しい感覚を取り入れた作品が登場します。アール・ヌーヴォー様式の作品と呼ばれるものですが、これは既存の手垢のついた大量生産品の作品に対する、反抗ともいうべきものです。作られた絶対数が少ないだけに、アール・ヌーヴォー期のアンティーク・ジュエリーは、市場では高価なものです。花や動物、昆虫など、あるいは人物をあしらったデザインで、多彩な七宝、厚みのある金、バロックの真珠、乳白色のオパールやムーンストーンなどを多用したブローチやペンダントなどが流行しました。
また、この運動の中で展開したガラス工芸は、最高の芸術的作品を生み出しました。エミール・ガレやドーム兄弟の作品はその代表例です。生命力に満ち溢れたダイナミックな作品が次々と作られました。 |
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***ガレ工房花器***
アール・ヌヴォー代表的作品 |
プリカジュールと呼ばれる技法
でつくられた曲線の美しいブローチ |
| ◆アール・デコ 【art deco】1920〜1940年頃 |
1914年に始まり1918年に終わった第一次世界大戦により、男性が戦場に行くにつれて、そのあとを埋めるために必然的に女性が社会に進出します。このような情勢の中で、すべては機能的にならざるを得なく、女性は悠然と美しくあるだけでよい、そうした女性を飾るための唯美的なヌーヴォーやエドワーディアン様式そのものが、激変する社会やその中の女性に合うわけはありません。
よりはっきりとした幾何学な模様と、直線を生かした単純明快なフォルムがデザインの基本となり、色彩も複雑に溶け合った七宝から、むしろ宝石そのものの色をはっきりと出し、自分の洋服との対比で選ぶ、という方向に変わってゆきます。女性にとって、ジュエリーは男性から与えられるものから、自分で選ぶ時代になります。
アール・デコ様式とされるジュエリーには大別して二種類あり、丸、三角、四角、楕円といったはっきりとした幾何学模様がデザインとして使われているものと、東洋と中近東のモチーフを使い、プラチナの台にダイヤモンドと色石を組み合わせて、ややデフォルメされた具像のデザインを描くものです。全体としては、デザインの一部に直線や鋭角が増えて、曲線でもコンパスで引いたような、はっきりとした線になっています。また東洋からの影響も強く残っており、日本以外にも、中国のデザインや翡翠などの品物(ジャポニズムに対比して、シノワズリと呼ばれます)エジプトやインドのデザイン・モチーフ、表面に彫りを入れたエメラルド、ルビー、サファイアなどが登場しますが、そうした品物あるいはモチーフを、むき出しにしてつかうのではなく、アール・デコ様式の全体のなかに巧妙にとりいれているのが特徴です。
アール・デコ様式を一口でいえば、極めて男性的なデザインのものともいえます。女性の社会進出が進みパーティが増えるにつれて、時計が必需品に近くなり、ブローチやペンダントの一部に、他人にはわからないように、小さな時計を組み込んだ作品が出現するのもこの頃です。 |
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***カルティエペンダント型時計***
裏側が時計になっている |
翡翠のピアスとオニキスのリング |
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参考文献:すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術(東京美術・2005)
アンティーク・ジュエリー入門(婦人画報社・1995)
永遠のアンティークジュエリー(平凡社・2004)
アール・ヌーヴォー、アール・デコのガラス(平凡社・1988) |
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